のらくら
のらりくらりと生きている人に憧れる。
そういえば、昨日、新しい元号が発表された。
私はバイトをしていて、ひたすらエスプレッソをおとしてミルクをたいていた時に店長が発表されたで〜って言って、ちょっと待って!まだ言わないで〜って
落ち着いた時に、聞いた。
まあ、安久とかは絶対ないと思ったし、ダサすぎるから、レイワって結構いいなと思った。
平成8年生まれ!?ンッハァー若いなぁ!
って言われてたのが、そうじゃなくなる。
レイワ生まれ!?ンッハァーもうそんな経つのか!
になる。言う側になる〜泣
もし私に子供ができたら、その子はレイワ生まれになるのか。
平成を振り返るのもそうだけど、
京都にきて、大学院生になって1年がたった。
ちょうど1年前、私は院生としてオリエンテーションを受けて、得体の知れない、大学院生活にとてつもない不安を抱いていた。
私が1番研究とかわかんなくて、知識も経験もなくて、場違いな場所に来てしまったと感じていた。けど、蓋を開けてみれば全然そんなことなくて、みんな私と同じくらいもしくはそれ以上にしょぼかった。
友達もたくさんできて、先生方からも信頼された。いわゆる院生の鑑というか、私は院生を謳歌しているのだ。
そんなこと1年前の私は1mmも考えてなかった。
1年はあっという間だったけど、そう考えると色々なことがあったなって感じる。
半分を切ってしまった京都生活がもうすでに恋しくて、
地元で働きたいと思っていたのに今は京都に残りたいまで思ってる。
1年後の私は何をしているのか本当に想像がつかない。
身を安定させるのは、自分にとってとても楽なことかもしれないけど、
いざ安定した身分についたときに、刺激を求めてしまうのが私かもしれない。
大学生の時は、東京の大学に行ったことを後悔していた。
名古屋とか京都の大学生に憧れた。
そんな憧れの学生に私はなることができた。
そんな私が地元に戻って働いたら、また、遠くに行きたいと思ってしまうのではないか?
ピーターパン症候群なのかもしれない。
途端に京都生活を続けたいと考えているのは、母が元気になってきたということも1つの要因なのかもしれない。
私は一人っ子だし、去年は母が体調を崩して入院して、気が気じゃなかった。
自分がこのままどうなっていくのか本当にわかんないけど、
IMALU精神で頑張っていくか!(IMALUの名前の由来を調べればわかるで)
そういえば、3/31は私がこの部屋に引っ越してきた日で、
大阪ガスが激混みで3日間くらいガスが使えない状態だった。
銭湯は今なら家の近くにあることを知ってるけど当時はとても1人でいく勇気がなくて、人生で初めて3日間お風呂に入らなかった。
私は熱がある時とめちゃくちゃ酔った時以外(確率高そうに見えるけど滅多にない!)絶対お風呂に入ってから寝ないと気が済まない人間だから、その3日間は自分史に残っている。
3日ぶりにお風呂に入ったその日から、私は今日まで毎日お風呂に入っている。
と思ったけど、高熱とインフルの時に入らなかったわ。〜完〜