オールドファッション

千葉出身。大学院修士をへて今は新入社員。自分が思う天才がつくる音楽とゴールデンレトリバーがすき。

1年前にしていた生活が恋しくなるな

 社会人になって半年がたった。そのうち2ヶ月半は在宅研修だったので、社会にちゃんと出てから3ヶ月半というところか。

 4月まで京都の大学に2年間通って、憧れの出版社に就職できて、地元である千葉から通うようになった。別に地元に戻りたいという思いは強いわけではなかったが、自分のいきたい業界はほとんど東京に集中していたことと、一人っ子で両親が近くに戻ってくることを望んでいたこと(そのように感じた)、家族・親戚はほとんどが千葉にいるので関東、とりわけ千葉や東京以外に住む理由は自分の意思以外にないのだ。

 

 22年間住んでいた関東を離れ京都に2年間いたこと、そして関東に戻ってきたとたん猛威をふるった新型コロナによって 私の人間関係のネットワークは無駄を削ぎ落としたかたちになってしまった。

 誰でもそうかもしれないけど、歳を取るごとに中学・高校・大学の友達は、関係を続けられそうな人たちだけ厳選されていき、減っていく。大学の頃までは関東にいたので広く浅くいた友人たちは、まず京都に行ったことで自分の中でふるいにかけられてしまった。遠くへ行ったものは、自分が戻ったときに旧友に会いたければ自分から戻ったことを伝えなければならない。当たり前だ。友人を失うことが怖ければ私が自力でつなぎ止めなくてはならないのだ。 しかし、限られた時間の中でそんなに多くに人と会うこともできないし、自然と数人に厳選された。

 そしてコロナ禍の中、千葉から東京に通う生活が始まった。緊急事態宣言が出ているような最中、東京へ行く気には全くなれなかった。そして実際に会う友人たちも限られていき、今に至る。自分から連絡をすれば会ってくれる人たちばっかりだと思うけど、それに使う気力はかなり大きいものに感じる。

 

 1年前、京都にいた頃の生活が恋しくなる。過去って実際よりも輝いているように見えるんだろうけど、私は1年前からその生活を失うのが怖かった。

 コミュニティは小さかったけれど、お互いが近距離に住んでいて、時間に縛られないで生活してたあの毎日。バイト先でも学ぶことがたくさんあった。あの頃の仲間は今はみんな社会に出ているし、あの生活がずっと続くなんて誰も思っていなかったからこそ、毎日が本当に貴重で楽しかったんだろうなぁ。

 

 今は仕事は充実しているし、今の生活に不満はあんまりないんだけど、たまに襲ってくる虚しさや焦燥感の正体ってきっと人恋しさなのかな…。