オールドファッション

千葉出身。大学院修士をへて今は新入社員。自分が思う天才がつくる音楽とゴールデンレトリバーがすき。

心がざわついて忙しいな。

無性にパソコンのキーボードを叩いて、一心不乱に文章を書きたくなったので

このブログに戻ってきた。

相変わらず、誰もアクセスしていないので少し安心笑

 

今の会社を離れるかもしれない局面にきている今日このごろ。

正直、今の会社の面接をした日から、自分にはこの会社があまり好きじゃないと感じていた。入社した時は、社会人経験を身につけるには良い機会と思い、漠然と2、3年働いたら次の道に行こうと思っていた。

そして社会人2年目の前半が終わり、具体的に会社を離れたいと考え出した。

様々な業務を引き継ぎされ、業務の方は格段に忙しくなったし、プレッシャーも多い毎日。充実しているといえば充実しているし、今の業務が大嫌いかと聞かれればそうではない。だけど、どうしても自分の会社、上司、先輩、雰囲気、そして周りの考え方が好きになれなかった。「自分もああなりたい」「自分も頑張ろう」と思えるような刺激がもらえる人は周りに一人もいない。

 

具体的に転職活動を始めたのは、前々から興味があった会社の求人が出ていたのがきっかけ。その会社に応募すると同時に、他にも求人を探して、現在3社を選考中。

1社は結果待ち、もう1社は今週2次選考、そしてもう1社は今日、書類を郵送する。

今週2次選考を控えている会社に、今最もいきたいと考えている。それは、前々からいきたいと考えていた会社ではなく、たまたま求人を見つけた会社。

その会社に行きたいと思うと、他の2社が霞んで見えてしまう。

ただ、全部に落ちる可能性だって勿論ある。そうしたらまたしばらく今の会社に所属しながら、自分の道を探して行かなきゃいけない。

 

転職活動を始めてから、今の状況を抜け出せるかもという光が見え、

選考中のところに決まればあと数ヶ月で終わるんだという前向きな気持ちになる。

正直、会社の業務に真剣になれず(滞りなく終わらせようと必死になっている意味では真剣かもしれないけど)、転職のことばかり考えてしまう。

土日も朝も昼も夜も、あまり心が休まらない。

けど今私にできることは、目の前にある選考を受けること、今の会社の業務を漏れなく取り組むこと、できる限りの準備をすること。考えて結論が出せて解決されるような問題じゃない。

 

ある程度時の流れに身を任せて、

気づいたら自分の居場所が見つかっているといいな。

 

8時が過ぎた、とりあえず今日の行動を始めなくちゃ。

今日は在宅勤務。9時に仕事が始まるまでは自分のやりたいことができる、好きな時間。

有効に使っていこう。

 

まだ布団にくるまっていたい

おはようございます。

 

完全に目は冴えてしまったんだけど、

平日は戻りたくて仕方のない布団の中から出るのが惜しくて

もういいや!ってときまでくるまっていたいと思うそんな時間。

 

このブログにアクセスするのは、

大抵忙しい毎日の中で少しだけ心に余裕が生まれた時で、まさに今も今週1週間の凄まじいスケジュールを終えて少しホッとしているところ。

 

最近はやっと自分がしていることが「仕事」であると言えるようになってきた。

先輩のおこぼれをもらうのは徐々に減っていき、

自分の担当のエリア、業務を受け持ち、1ヶ月のルーティンみたいなものも理解してきた。

特に2ヶ月前くらいは、引き継ぎをされたばかりで、

本当に辛かったな…。

 

最近の出来事といえば

新しいギターを買った。

 

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愛称は「フライングバナナ」と呼ばれているギター。形と色に一目惚れして、買ってしまった。

 

自分にとって大きな買い物になってしまったけど、

コレを買ったおかげで仕事もしゃーねえ、がんばるか!って気持ちになってるかも?

 

今日は1日休みだし、たくさんギター弾こう。

 

1年前にしていた生活が恋しくなるな

 社会人になって半年がたった。そのうち2ヶ月半は在宅研修だったので、社会にちゃんと出てから3ヶ月半というところか。

 4月まで京都の大学に2年間通って、憧れの出版社に就職できて、地元である千葉から通うようになった。別に地元に戻りたいという思いは強いわけではなかったが、自分のいきたい業界はほとんど東京に集中していたことと、一人っ子で両親が近くに戻ってくることを望んでいたこと(そのように感じた)、家族・親戚はほとんどが千葉にいるので関東、とりわけ千葉や東京以外に住む理由は自分の意思以外にないのだ。

 

 22年間住んでいた関東を離れ京都に2年間いたこと、そして関東に戻ってきたとたん猛威をふるった新型コロナによって 私の人間関係のネットワークは無駄を削ぎ落としたかたちになってしまった。

 誰でもそうかもしれないけど、歳を取るごとに中学・高校・大学の友達は、関係を続けられそうな人たちだけ厳選されていき、減っていく。大学の頃までは関東にいたので広く浅くいた友人たちは、まず京都に行ったことで自分の中でふるいにかけられてしまった。遠くへ行ったものは、自分が戻ったときに旧友に会いたければ自分から戻ったことを伝えなければならない。当たり前だ。友人を失うことが怖ければ私が自力でつなぎ止めなくてはならないのだ。 しかし、限られた時間の中でそんなに多くに人と会うこともできないし、自然と数人に厳選された。

 そしてコロナ禍の中、千葉から東京に通う生活が始まった。緊急事態宣言が出ているような最中、東京へ行く気には全くなれなかった。そして実際に会う友人たちも限られていき、今に至る。自分から連絡をすれば会ってくれる人たちばっかりだと思うけど、それに使う気力はかなり大きいものに感じる。

 

 1年前、京都にいた頃の生活が恋しくなる。過去って実際よりも輝いているように見えるんだろうけど、私は1年前からその生活を失うのが怖かった。

 コミュニティは小さかったけれど、お互いが近距離に住んでいて、時間に縛られないで生活してたあの毎日。バイト先でも学ぶことがたくさんあった。あの頃の仲間は今はみんな社会に出ているし、あの生活がずっと続くなんて誰も思っていなかったからこそ、毎日が本当に貴重で楽しかったんだろうなぁ。

 

 今は仕事は充実しているし、今の生活に不満はあんまりないんだけど、たまに襲ってくる虚しさや焦燥感の正体ってきっと人恋しさなのかな…。

初めてのお店のメニュー選びは大体失敗

社会人になってから土曜日がこの上なく幸せな時間になった。今日は総じて家でダラダラしていた日だが、休日にしかできないあれこれを色々できた気がする。からだが満足するまで寝て、部屋の隅々まで掃除して、普段洗えないものを洗濯。昼は食べたいものを自炊して、読みかけの本を思う存分読み、ギターを弾き、配信されたばかりのポッドキャストを聴きながら洗濯物を畳む、、、。

引きこもりな1日でも、文にするとこんなに充実。

 

本題に入る。

本当は平日に書いておきたかったことなんだけど、忙しかったので。

1人でご飯を食べに行くとき、行ったことのない店に行くと必ず最初はメニュー選びに失敗するのだ。

最近、仕事の昼休憩に何度か、1人で外食しようと店に入った。だいたい時間がないしお金もないので、ファストフード系とか〇〇うどん系。それらはファストだけあって、注文をカウンターで行うタイプ。特に昼の混雑時はお客さんが次々くるから、メニューをじっくり見ずに注文しなければならない。私はこれがとても苦手。人を待たせてるというプレッシャーでいつも自分の頼んだメニューを後悔する。その結果いつも必要以上に金額が高くなってしまう、、。

先週入った〇〇うどんでは、メニューを見る間も無く急いで注文し、馬鹿デカいサイズのうどんが来たし(中が1番大きいサイズであることが咄嗟にわからなかった)、先々週のファストフード店では2択で乗り気でない方を言ってしまい胃もたれ

食べる前から、自分が支払った金額のレシートを握りしめ、意に反したメニューを見ながら、自分の不甲斐なさに泣きそうになった。

 

しかし、ここまで初めて入る店で失敗していると、「もうそういうもん」と思えてくる。

「次来たときはこれとこれだな」と誓い、次回からはきっとミスなくメニューを選択できるはず。

 

また失敗して悲しむ前に、この傾向を知っておこう。ステイポジティブ!

近い未来の自分を励ますために、ここに綴っておきました。

喫煙

タバコを本格的に止めたのは、去年の7月の初め。

てことはもうすぐ1年経つ。

最後の1本を吸って以来、10月ごろにもらって1本吸っただけ。もうニコチンは体からは完全に抜け切っていると思う。

 

のに、今でもタバコが吸いたくなるのはどーして、、。

 

毎日、1日のどこかで「タバコ吸いたいなー」っていう瞬間がある。

さすがに1年止めていると衝動的に買いに行ってしまうことはないけど(吸った後ものすごく後悔するであろうことはわかっている)、夜寝る前とか「明日吸っちゃおうかな」って漠然と思ってしまう。

 

ここまで止められたのは、多分1年前に読んだ『禁煙セラピー』のおかげだと思う。

【読めば止められる!】なんて過大広告だし、絶対なんてあり得ないんだけど、読んだらほんとーにすっと止められた。

 

けどその『禁煙セラピー』の効力が薄れてきたのか、毎日吸いたくなってしまうのだ。

その本はいま手元にないし、買わないと読めない。

 

『禁煙セラピー』を買うのが先か、

タバコを再開してしまうのが先か、

自分でもわからない…。

ミュージシャンになりたい人生だった?

※引くほどまとまってない記事

 私は中学1年生のときにドラム教室に通い始め、中学2年生になったらアコースティックギターを始めた。中1のとき、YUIのfeel my soulに衝撃を受けて、以後ずっとYUIに強い憧れを抱いて今日まできた。

 中学時代はバレー部に入っていて、それもギターとドラムと同じくらい熱を持ってやっていた。しかし、YUIを追いかけることは生活の主軸だったし、高校生になったら絶対にバンド活動をすると決めていた。

 高校生になって、有言実行。入学してすぐバンドを組んだ。クラスで隣の席だった女の子がノリノリで(まあ、実際ノリだったんだろう)ボーカルをやると申し出てくれた。3ヶ月だけ入部していたバレー部で出会った子が「ベースをやりたい」と言ってくれて一緒にベースを買いに行った。私とベースの子はそのあとすぐバレー部を退部した。

 私はドラムとギターができたので、そのどちらかを担おうと思っていた。そんなとき、他クラスの友人が「お父さんがギターをやっている子がいる」という情報を教えてくれて、その情報だけを頼りに顔も見たこともない女の子をスカウトしに行った。

 私の中に眠っていた行動力を存分に発揮し、1年生の5月にはバンド結成、文化祭のオーディションに出ることになった。ちなみに私はドラム担当になった。みんなバンド初心者だったので、コネをフル活用して教えてくれるおじさん(お母さんの仕事関係の人)に頼み込み、猛特訓。ちなみに、軽音楽系部活動がない高校だったので、バンド文化も発達してなかったし、校内に練習できる場所もなかった。学校外でスタジオを借りて練習し、見事先輩のバンドを蹴落とし(申し訳なす)、入学間もない1年生バンドの私たちが文化祭出場への切符を勝ち取った。そのときは、本当に嬉しかったし誇らしかった。

 高校時代のバンド生活は恵まれていたし、充実していた。学校外のいろいろな人と繋がれて、いろいろな場所でライブをした。高校でも代表的なガールズバンドになって、文化祭にはたくさんの人が見にきてくれた。でもバンド活動をしていて私の中に、【自分も歌いたい】、【ギターが弾きたい】という想いが芽生えた。ドラム自体はとても楽しい好きだけど、私はやっぱりYUIになりたかった。

 家では弾き語りを毎日のように練習していたし、自分で曲も作ってみた。そして中学のころは【高校でバンドを組むぞ】と思っていたが、高校では【大学でギターボーカルとしてバンドをやりたい】と思うようになった。

 

 大学生になって、軽音楽サークルに入ってギターボーカルもやるようになった。ただ、それはどれもコピーバンドだったし、自分で曲を作ることもほとんどしなくなった。入学当初は【オリジナル曲がやりたい】という思いでいっぱいだった。入ったのは「作詞作曲サークル」と銘打つ部員100人以上の大規模音楽サークルとノリで入部させられたコピーバンドのサークル。どちらのサークルもとてもレベルの高い人がたくさんいた。コピバンサークルの新歓で、そのサークルの人に「オリジナルがやりたい」と伝えた(そのときは断る口実だった)。しかし、その人は「オリジナルはコピーを極めた上にある」的なことを言った。【たしかにな】とその時思った。しかし、その言葉に間に受けた私は「オリジナル曲をつくること」をとても高いハードルにしてしまったのだ。

 

 「作詞作曲サークル」は私のやりたいことに合致していたのだけれど、多すぎる人数に慣れず、自分と合わないと感じる人が牛耳っている(と感じた)こともあり、居心地の悪さを感じた。そして、夏にはそのサークルをやめてしまった。

 それからの大学での音楽活動は、入学当初の熱い思いはすっかり覚めてしまったように感じた。高校の時まで井の中の蛙だったこともあり、自分よりもレベルの高い人たちと出会って自信を失ってしまった。【自分はどうせ下手だから】という気持ちが心のどこかにあった。自分の好きなバンド、Go!Go!7188チャットモンチー、フラワーフラワーなどのコピバンは一生懸命やった。けどそれだけじゃ満足できていないのに、自分の心をごまかして、周りに流され、へつらって大学4年間が過ぎていった。

 

 大学4年生のころ、Go!Go!7188のライブDVDをみていて、【羨ましい】と感じた。バンドを仕事にして、世界中いろいろなところに行って自分の作った曲を披露する。自分の生きた軌跡を、はっきり残せるようなそんな人たちが羨ましくて、憧れた。

 そう感じる一方で、私はミュージシャンになりたかったのだろうか?

 上記で書いたように環境のせいにしてしまうのは簡単だけど、その私が思う「理想の環境」があれば私はもっと本気で取り組んでいたのだろうか?

 

 時々そんなことを考える。

 今でも、ギターが大好きで、時間があれば自分の好きな曲を弾き語りする。自分の好きなミュージシャンやバンドを聞くと心躍る。私の場合、ただその曲を聞いていればいいだけじゃない。ライブに行けばいいわけじゃない。【自分も弾いてみたい】【自分もあんな風になりたい】と思うのだ。

かといって、本気でシンガーソングライターになりたいと思ったことはない。

音楽以外の仕事をしながら、小さなステージに立てたらいいな、それが今の自分の理想である。

今日、てんちむTwitterで[「やりたい」から「やらなくてはいけない」という義務感に変わった瞬間、一気に「やりたくなくなる」]という呟きをみた。

自分が音楽を仕事にしようと決意したら、一気にやりたくなくなってしまうのかな?

 

自分が何を言いたいか、終着点が見えなくてまとまらない文章になってしまったけど、私は中学生のころからずっと【もっとやりたい】という気持ちを抱いていた。

現状に満足したことがない。大学生のころ、自分の気持ちをだましだまし過ごしたこととても後悔しているんだ。

もう【下手だから】とか【時間がないから】っていう言い訳はしないようにしたんだ。

 

ソファ・・・

昨日途中まで書いて下書きとして保存したはずの記事が消えてた。

 

昨日、ニトリで買ったソファが届いた。

私の今住んでる部屋は、都内から離れているおかげか家賃も手頃で部屋も広い。

そこで初めて、一人暮らし先にソファを置こうと思って先週購入した。

 

んだけど・・・

実際届いたソファは、自分が想像していたよりも大きく(ニトリで実際に見たんだけど、店内が広いせいかそのときは小さく見えていた)、部屋が一気に狭くなってしまったように感じた。

一度「せまい」と感じたらその呪縛からはなかなか解き放たれない。

圧迫感で心が押し潰されそうになり、部屋の中でペカーン!と目立っている新品のソファが目に入ると少し悲しい気分になった。

ああ、なんで少し大きい座椅子にしないで、ガチなソファを買ってしまったんだろう・・・

新しい部屋の光景にあまりにも慣れなくて、今までの古い小さい座椅子がポンと置いてあるガランとした空間が無性に恋しくなる。

返品もできない・・・

 

というのが、昨日の気分。

幸いなことに、両親に相談したら実家で使っているソファがもうすぐ古くなるので、使ってもいいとのこと。

ただ、昨日は返す気満々だったんだけど、夜ソファに寝転んでテレビを見たらけっこう快適。そりゃそうだよねソファだもの。このソファを返してしまったら、またあの小さい古い座椅子で見ることになる。うーん。

 

タンスの配置を変えて・・・部屋に置いてあるものを少し減らせば・・もう少し圧迫感なくなるだろうか。とか、ソファを置き続ける方向性も考え始めた次第。

よく考えて決めようと思う・・・。

なにごとも。