ここ数ヶ月のこと
このブログのことは正直前回の記事を書いてからすっかり忘れていたんだけど、久しぶりに自分の頭の中にあることをアウトプットしてみたくなった。
ここ数ヶ月は色々なことがあったけど、4月の2週目から現在に至るまでの在宅勤務のおかげで、時間だけ過ぎていきながら日々は止まっているような、そんな感じ。
まず修士論文を提出したあとは楽しいことがたくさんあった。2月にはお母さんと温泉旅行に行ったし、大学院の人たちと釜山と慶州を旅行した(1週間旅行が遅れていたら、キャンセルだっただろう)。高校時代の親友たちと広島も行った。
大好きな大学院のなかまとたくさんご飯に行ったし、色々なことを話した。
3月には、コロナが世界で目に見えて流行り出して、楽しみにしていたルーマニアでのシンポジウムが中止になった。誕生日の予定が空いてしまい途方に暮れていたら、指導教授がご飯に誘ってくれて、話してみたかった大学院の優秀な人たちと会食をすることができた。しかし2日後にその時食べた牡蠣に当たり、2日間吐き気と高熱と全身倦怠感でダウンした。笑
誕生日の次の日に、バイト先の後輩とレコード屋さん巡りをした。後輩の女の子と音楽の話ができるのが嬉しかった。もっと早く行けたらなぁと思った。
大学院の修了式はもちろん中止になった。体調をくずしたせいで引越し作業が遅れてしまい、当日は写真のために数人で集まったものの、袴を着て写真を撮ることは叶わなかった。足早に千葉に帰り、新しい引越しを済ませた。今思えば3月下旬は本当に多くの人の、コロナに対する意識が緩んでいた気がする。帰り道に寄ったSAは人がいっぱいだった。
尻尾を切られてしまうようなかたちで、私の京都暮らしは終わった。
あと3年くらいはいたかったなぁというのが正直なところ。しかし大学院でできた仲間はほとんどが全国に散り散りになった。これからはどこかに行くたびに、懐かしい人たちに会えるかもしれないという新しい楽しみもできた。
4月のついたちから、新入社員になった。4月に予定されていた集合研修は延期になり4月3日から仮配属になった。同期は面白い人が多くて、もっと話してみたいなぁと思いながらも仕事帰りにご飯に行くこともできなかった。そのまますぐに在宅勤務になってしまい、家で1人、新人研修の課題をこなす日々・・・
在宅勤務は、夜も朝もゆっくりできるし、気を遣わなくていいし精神的に楽だけど
この生活に慣れてしまうのがこわいんだなぁ・・
あとこっちに越してきてから1度も友達に会っていないし、新しい場所にもいっていない。日々に刺激がない。刺激といえばコロナに対する不安という新種のもの。
6月からたぶん少しずつ、元の生活になっていくんだろうけど、
またこの日々が戻ってくる可能性も高い。
ゆううつだけど、置かれた状況の中でベストを尽くしたい・・・。
年明けたけど2019年を振り返り、2020の抱負を話す
どたばたの年末年始が終わった。30日に両親の車で実家に帰り、愛犬が体調を崩し、今までで3回も病院に行った。
2019年を振り返る暇もなく、2020年を始める余裕もなかった。てことで、簡単に2019年を思い出したいと思う。こういうのにまとめたくなるほど、2019年はいろいろあった1年だと思う。
〜私の2019年〜
①就活
2019年最大のイベントの1つ。内定は9月にもらえたが、3月から9月まで精神的に搾取された気がする。進路が決まらないと、何かにつけて憂鬱な気分になって、自分が何をしたいのか、何のために大学院に来ているのかわからなくなった。肩の力を抜くということは頭ではわかっていても、なかなかできなかった。
でも、最終的に自分自身を認めてくれる会社に出会って(まだわからないけど)、就活を終わらせることができた。とても運が良い。
②修論
これも就活と同じくらい大きな試練だった。京都にいながら、自分の地元のことに関するテーマで論文を書いた。論文を書くのは生まれて初めてのことで不安しかなかったけど、62ページの論文を完成させることができた。アンケートに協力してくれた人たち、そして何よりも指導教諭には感謝しかない。アンケートが通らなければこの研究を成し遂げられなかった。そして、指導教諭がいなければこのテーマは生まれてこなかった。私はとても運が良い。
③オーストラリア
オーストラリアですったもんだする出来事がなければ、内定はもらえなかった(ネタになった)。そしてオーストラリアの教育実習があるおかげで、焦って研究を進めることができた。①②③は繋がっている。
④仲間
大学院での交友関係が広がり、年上の方々ととても距離を縮めることができた。今では毎日のように一緒にご飯を食べ、いろいろな話をしている。仲間がいたおかげで最高に楽しい京都生活、そして大学院での学業を送ることができた。
以上が2019年の主なトピックだ。あとは、spotifyとYouTubeのおかげで、今まで食わず嫌いをしてたようなジャンルの人たちや音楽と出会い、好きなものが増えたことかな。よく聞いたバンド・アーティストは、シェリル・クロウ、The Drums、Eastern youth、カネコアヤノ、superorganism、The Muffs、レディ・ガガ、ゴールデンボンバー(リバイバル)(順不同)ファンになった人は、kemio。あと韓国にも興味を持つようになった。
2020年、より深くそしてより広く、いろいろなことをまた知りたいなぁ。
うん、以上をふまえて2020年の抱負は、
・運動を習慣化する。
・肌をきれいにする。
・本をよく読む。
→世の中を知る。
・ギターとドラムを再開する。
にします。がんばるぞー!
いろいろあった
久しぶりに更新しようと思って開いたら、想像以上に更新してなくてびっくりした笑
Gold coast①って…。予定としては⑤くらいかいてからのシドニーの予定だったのに、完全に①で止まってた…。
記事にはしなかったけど、Gold coastには②も③も書き切れないくらい、いろいろあって。今、この記事にはもちろん全てを書くことはできないけど、忘れたくない思い出がたくさんできました。ちょっと写真貼ろうかな。
と、思ったら「未対応のファイル形式です」だって。うざ!
めんどくさいからまた今度。今は長々とブログに向き合う気分じゃないし。
Gold coastで3週間の実習が終わった後、シドニーにいる3年前にホームステイした家に泊まりに行った。
もう、思い出すたびに切なくなって胸が締め付けられるくらい、おじいちゃんとおばあちゃんと離れるのは寂しかった…。かといって、オーストラリアで仕事を探す勇気もない自分。このことを考えるとなんかセンチメンタルな気分になるので、次。次。
内定もらった!!
オーストラリアから帰国して約1週間後に。奇跡…
オーストラリア出発3日前に面接を受けた企業が待ってくれて、急遽最終面接を当初の日程よりも3週間ほど遅れた日にやってくれた。
これがまさにご縁っていうのかなぁ〜。感謝しかないや。
来年から、一応憧れの出版業界で働くことができる。社会人になるのは全く憂鬱ではなくて、むしろ楽しみ。恵まれてるなぁ私…。今後どうなるかわからないけどね。
っていう、ほんとーにいろいろあった約2ヶ月。
昨日はなんと全く同じ名前の人に出会いました。
そのことを詳しく書きたかったけど情報過多になって私も疲れてしまったよ。
修論をやるか、寝る。
では、次の記事をよろしくお願いします私!
Gold Coast①
8月17日の夜に日本を出発して、オーストラリアに来てから1週間が経過した。
月曜日から木曜日まで、大学で日本語の教育実習をしている。教育実習といっても、日本のやつと違ってかなり緩い。きっちり勤務時間も決められていないし授業がない時間は基本的に自由時間だ。だから朝は割とゆっくり寝てる。
1週間目は授業見学が中心で、日本語の授業で先生のサポートをする感じ。お給料の出ないTAって感じだね。来週は日本の若者文化に関するプレゼン、再来週は2回の教壇実習がある。今はプレゼンを作っているんだけど、全レベルの授業でやるということでその中に織り交ぜる媒介語(英語)の量も変わってくる。自分が産出した英語は自信がないし、PPTの英訳も不安。ネイティブの知り合いにチェックしてもらえるか連絡したんだけど、返事なし…。とほほ
ゴールドコーストに来て1週目は色々あった。
まず滞在していたホテルを急遽変えて、今週金曜日に別の場所に引っ越した。
到着して思ったことは、「田舎…」で、部屋に入って思ったことは「やばい、キッチンも電子レンジもない、ただのホテル…」。
案の定生活は結構不便で、スーパーまで歩くしその道は人っ子一人いないような閑散としたところ。夜は真っ暗でめちゃくちゃこわい。
日本のように24時間営業でコンビニがいたるところにあるとか、出来合いのお弁当があるわけでもなく、電子レンジが部屋にないこともあって本当に食べ物に苦労した。(カップ麺ですら味が合わなくて…) しかも予約した当時の私は何を思ったのか、ハウスキーピングがない部屋を借りていて(安かったんだもん!)、日に日にたまるゴミ、食べ残しも残しておくのが嫌だから無理やり胃に流し込んだ。
そして早々に引っ越すことを決意。3週間とても耐えられないと思った。
幸い、冬であるこの時期は直前でも空室があるアパートメントホテルが結構あってスムーズに予約することができた!
そして最後の試練、「返金交渉」。予約サイトには「返金不可」の文字。
大学の先生が何かあったら力になってくれるって言葉が心強くて、拙い英語で予約交渉してみた。これも幸い、フロントの女性がとても良い人で(というか、いいホテルだったんだね)、返金に応じてくれた。そして無事引っ越し完了!
今は1人で有りあまりすぎるようなアパートメントにいる。洗濯機もバルコニーもキッチン(実家のよりすごい)がある。自炊は結構大変だけど、前のところと比べてショッピングモールにも出やすいし、徐々にまともな食事ができるようになった!
憧れていたオーストラリアの自由気ままな暮らし。しかし現実は大変なこと。
3年前の素晴らしいホームステイ。それは間違いなく周りの人々のおかげで、特にホストマザーが作るご飯が美味しかったこと、何不自由のない家、本当に守られていた。
今ももちろん恵まれている。しかし、今まで何も考えずに食事ができていたことをこの1週間でとても考えさせられた。
この経験をさせてくれた両親にも感謝している。生活能力、そして戦闘能力をアップさせて日本に帰るぞ!
昨日は同じ研究科の仲間たちと会った。次の記事でまた書こう〜。
前向きに。
最近のブログは後ろ向きなことばかり書いていたね。
事実、行きたい企業に落ち、8月現在内定一つもない大学院修士の奴になっちまったから、動揺はしたよね。まぁ、就活をなめてた?というか、自分は誰にとっても他の人とはちょっと違う目立つ存在であると勝手に思い込んでて、狭き門に進んでったから。そりゃあ、弾かれることの方が多いよね。
企業に落ちることって、自分に価値がないとか、自分は何者でもないってことを知らしめられるわけだけど、まぁ私は今そうは思ってない。まず、面接で未来まで見えるわけでもないし、いろんな条件が重なって私を切ったんだろうし。
その企業でやりたいことが明確にあった方がいいってどの説明会でも言われて、
私も純粋に自分が一番やりたいと思うことを伝えたつもりだけど、それは求められていないことでもあったんだろうし、型にはめてなんて考えられないよね。
どこにも決まってない身でいうのもアホだけど、いつかは私の居場所というか、私を必要としてくれるところが見つかるような気がしてるんだ。(昨日の朝まではとてもそんな精神状態じゃなかたっけど)いま精神状態いいんだね。
ただ自分が健康であることが条件、そうすれば人生はどうにかなる、なれる。
今はただ、最近見失ってた自分磨きを再開して、心も体も綺麗な人間になろうと思う。
肌も髪も綺麗にして、笑顔を増やす。そうすればいいことって自然にくっついてくるんじゃないんですか?
私は高校受験・大学受験・大学院受験、すべてストレートに行きたいところに行けた。
もちろんその中で苦しい思いをしたこともあったけど、目に見える挫折はしたことがなかった。
大学4年の時は、就活はしていなかったけど、8月まで内定がない子たちに対して、同情というか、「お前何様?」って思われても仕方ない、そんな感情を抱いていたかも。
でも自分がこうやって失敗して思った(まだ失敗かどうかはわからないけどさ、形式上)。挫折してこそ他人の痛みがわかるし、挫折をしたことがある人にこそ、人って弱みを見せられるってことがあるのかもしれない。もし、第一志望の企業に行けたら正直私は天狗になっていただろうし、友達にかたっぱしから「就活終わった!!あそぼー!」って連絡していたと思う。心のなかで、「そこに入れる自分すごいだろ。見直しただろ。」って優越感に浸る自分を心待ちにしていた。でもそんな奴に、誰も弱みは見せてくれないかもね。プライドだけが膨張していっただろうね。
でも、もちろんその会社に入ってからそれ以上の挫折をするのかもしれないけど、少なくとも現時点でさ、痛みを知らない自分になってしまう前に、こうやって自分の思い通りにいかなかったことは決して無駄ではないし、むしろプラスの経験になったのかな。
私はあと1週間でオーストラリアに出発する。少なくとも1ヶ月就活はできないし、このままじゃ卒業までに就職先が決まらないかもしれない。
でも、今はケセラセラって気持ちの方が強くて。焦って泣くくらいなら、スキンケアして、運動して、料理して、勉強して、とりあえず自分を磨き続ければ、自然と決まっているのかもしれない。
そう信じて、前向きにがんばってみるよ。
あのさぁ。
電車に乗っていた。
進行方向に対して横に向くタイプの座席で、私が座っていたのは、普通座席2つ、そのほか優先座席の車両だ。
優先席の方が多いから、私が乗った時には、いわゆる”優先される人”ではなく(外見がそうであるだけで、中身はどうかはわからないが)、テスト勉強する若者、ゲームをする高校生くらいのオタク集団、肉付きのいいサラリーマン風の男性、ごく普通の女子大生に見える、音楽を聴いた女の子 など が座っていた。
私も座席が空いたから座った。けど、そのあと普通座席も空いたのでそっちに移った。
それから一駅先くらいのことだった。80歳を超えているとみられる老夫婦が優先座席の前に現れたのだ。奥様の方は杖をついていた。もちろん、”優先される人”だ。 私の席からは少し遠くを歩いていた、もちろん優先座席の前。
が、誰1人としていその老夫婦に席を譲る人はいない。全員が若者だ。 見て見ぬ振りをしている。
私はその奥様に席を譲った。少し遠くから声をかけた。
私が奥様に席を譲ったあとも、依然として旦那さんに席を譲るものはいなかった。
席を譲った時は、その人に感謝をされていつも誇らしくなるものだ。
しかし、今日は違った。周りの人の冷たさに対する憤りと悲しさ。
自分が良ければ、他はどうでもいいんだろうか?
自分が手を上げなくても、誰かがやってくれると思っているのか?
いい加減、こんなダサい生き方やめませんか。
私は素直な人間なので、
席を譲らず見て見ぬ振りをしていた人たちに対して、冷酷な視線を送ってしまいました。