頭がごちゃごちゃだ
来週の面接に向けて、面接の準備と作文の練習をしている。
どちらもその場で乗り切れる場合もあるし、乗り切れない時もある。(どちらも経験済み)
今回は、入念に準備をしていきたい。しかし、面接の受けごたえや作文の内容を考えるために、会社のHPをみていたら、ワクワクが募って、かつ情報量が多くて、頭がごちゃごちゃになってしまった。
この場を借りて頭を整理したい。
・なぜその会社に入りたいのか。
最も大きな理由は、編集という仕事に憧れがあるから。自分も将来編集者として日本語を操り、「面白くて役に立つ」本を世の中に送り出したい。貴社は、教育関係も強みの一つであるし、他に法律書や行政書など、学ぶ人働く人の役に立てる書籍が多い。その点が魅力に感じた。
特に興味があるのは、教育関係の編集企画職。自分が学んできた「教育」の知識や経験を生かし、現場の先生方やこれから先生になる学生たちの役に立ちたい。また、最近は外国からきた子供達も増えている。その子たちの日本語能力は様々で、日本での学習において苦労している子もいると聞く。いずれ、その子たちにとって役に立つ補助教材や、日本語を教える方々の助けになるような本を作れたらいいなと考えている。
また、なぜ本を作る仕事を志すのかというと、本を作るには、世の中のことをよく知っていること・新しいことに敏感であること・様々な人々と仕事をするためその分野の知識 が必要である。知的好奇心が強い私にとって、仕事を通して様々なことを学ぶ必要があるような環境に身を置けることは、とても刺激的でワクワクを感じた。
なによりも、説明会や選考を通して、貴社の社員さんの雰囲気がとても魅力的だった。貴社は一人一人の社員全員の社員のつながりをより実感できるような会社であると思った。だから私も貴社の一員となりたいと強く思った。
・どうして日本語教師にならないのか。
日本語教師もとても魅力的な職業であると思うが、私は「日本語を教える」のではなく、学んできた知識をもっと幅広く生かしていきたいと考えた。出版社で働くことは、日本語を勉強する人だけでなく、日本で働く人々、教える先生方などより、幅広い人を見据えて、本を作り、世に送り出したいと思った。(どうして?→知的好奇心が旺盛だから。日本語教育以外にも、今後様々な本を読んで勉強していきたい)
また、大学院では留学生のレポートやメールの日本語を校閲する機会があった。「どのように言えば自然か。」「どのように言えば言いたいことが伝わるか。」などを考えるのが私にとってとても楽しく、同様に本を売るために、文章校正や、「どのような言葉で本の魅力を伝えるか」、などを考える作業にも携わりたいと思った。(ちょっと日本語おかしい)
1ヶ月なんて一瞬。
前回のブログが6/26。約1ヶ月前だ。
これから雨が続くらしいって書いてあって、案の定今までほとんどが雨だった。
終日外に洗濯物を干せた日は1日くらいじゃないか?
肌が紫外線に弱い私にとって、夏の紫外線は大敵。去年の肌荒れは、それが大きな原因だった。だからここ1ヶ月は、季節的には夏にも関わらず紫外線がそこまで強くない。その点はありがたいけど、その分湿気はすごい。
就活の方で進展があった。先週、1番行きたい出版社の一次面接を受け、無事に通過するとができた。
本当に嬉しいし、次の二次面接も突破して入社したい。心からそう思っている。
また、先日、京都でショックなニュースがあった。
某アニメスタジオの放火で34人の人が亡くなった。
決して人ごとではないと思った。この世には防ぎようもない死があるということを…。
生き生きと働いて、人々を笑顔にしている人が亡くなったこと、本人、その家族の立場を想像すると心が痛んだ。
そして、亡くなってしまった人たちはもう戻ることができない、ということが本当に悔しい。
焦って仕事を決めようとしていた。しかし、生きているとことがどんなに素晴らしいことか、と思った。
精一杯生きようと思った。
明日から雨の日が続くらしいよ。
洗濯物は部屋干しかー。
明日は夜に研究科の人たちと台湾料理を食べに行く。晴れてたらチャリで行きたいのに、雨予報だからバスかなぁ。
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最近のバイトは、就活を終えた4回生がちらほら帰ってきた。私は相変わらず進路が決まる気配はないけど、ちょこちょこバイトに入っている。
私のバイト先は、すごくやる気のある人たちが多くて、バイトに対する情熱とか、
仕事に対しても「こんなとこまで?」って思うほど完璧を追求する。
アルバイトの中で1人、主婦の方がいる。その方は朝シフトでよく被っていて、大学生とも気兼ねなく話してくれるし、仕事もできて頼れるし、大人の女性として尊敬していた。
だけど最近、その人に対して「??」と思うことがあった。
おっちょこちょいでちょっと抜けてる2回生の女の子のことを相当嫌っているという噂は聞いていた。とにかくその子と入ると目に見えるほどイライラしているらしい。
その方も仕事に関しては本当に真面目で、細かいところまで注意をする人だ。
昨日ついに、4回生のバイトの子に「〇〇(嫌っている子)と30分も被りたくない。(店長と多分本人に)伝えておいて。」と伝言したらしい。
そんなことを大学生バイトに言ったら、瞬く間に広まることはバイトをしていれば誰にだってわかることだと思う。あっという間に本人から私まで広まった。
その子は仕事でのミスが多いけど、私も2回生の頃はぺーぺーだったと思うし、
その子の性格もある。私はその子と被ったこともあるし、一緒にご飯も食べたことあるけど、嫌われるようなタイプの子じゃないと思う…。
アルバイトの分際で(とか言っちゃあダメかもだけど)、誰かと被りたくないっていうのはあまりに傲慢では??
というか、その子がかわいそう。
私も19歳くらいの時に、バイト先のおばさんに嫌われたことがあるから、なんか気持ちわかる。
でもそのおばさんは、他の人たちに対してもひどい態度だったし、バイト先の人たちは味方してくれた。
今回のその主婦さんは、店長さんからの信頼もあったし、その時のおばさんよりも人格者だと思ってたからなおさらびっくり。
これからどうなることやら。
今度機会があれば、その子に私もひどい嫌われ方をした時のことを話してあげよう。
最近は。
行きたかった会社に落とされた日から2日くらいは、朝起きるたびに悲しい気持ちになったかな。何にもする気が起きなかった。
案の定おとつい生理が来てくれて、会社に落とされた悲しい気持ちと生理前の情緒不安定のダブルパンチは徐々に和らいできてくれました。
まぁ案外すぐに吹っ切れることもできて、今日にかけてまた少しずつ肌の調子もよくなった。
最近は、新しくエントリーする会社のESと修士論文の研究を進める毎日。夏休みに行く教育実習や、ずっと迷惑をかけているバイトのシフトなど他にも準備をしたり考えたりしなくちゃいけないことがある。
…
なんかここまで打って疲れてしまったわ…。いつまで「〇〇やらなきゃ」っていう切迫感を感じながら生きていくのかな。一生かな。
昨日の地震もそうだけど、私には不自由のないライフラインがあって、どんなことでもできる健康な体がある。そのことがどんなに素晴らしいことか、今忘れていたな。
うん。
理不尽すぎる…。
あっけなく筆記試験の段階で落とされました。
まさか面接にも進めないとは。話もさせてくれないんかい。
結果の通知が来たのは22時前…。
今日はチリヌルヲワカの京都磔磔でのライブを観に行った(正直全然そんな気分じゃなかったけど、チケット取ってあったので)けど全然楽しめやしなかった。結果の通知がまだ来てないから、ライブ中iPhoneが震えた時に結果が来たのかと思って、気になって、緊張して。 アンコール入る前に急いで確認したらまだ来ず。
結局帰宅したら通知が来ていました、
あれだけ時間をかけて、いろんな人に見てもらって、手書きで書いたESも無駄になった。
今日は通過してることを見越してキャリアセンターで模擬面接までしてもらった。担当してくれた方はとても良い方で、私の面接を褒めてくれた。
ホームページや説明会で言ってたことは、もちろん建前だったんですよね…。「やりたいことがあればきっと入れる!」的なこと言ってたけど、やりたいこと書いた小論文よりスピード勝負の数学が大切ですか? あてにならない性格検査が大切なんですか?
人事の方は私より何十年も長く生きてるからわかるよな?あんな時間制限の中、流し読みで回答する性格検査が全てじゃないってことを。
そして、あの量の筆記試験と小論文をよくもまあ2日以内にさばけると思ったね?
その結果22時かよ。緊張して何も手につかなくて、楽しみだったライブの時間をよくも潰してくれたな。できることなら時間と交通費を返してもらいたいです。
就活が理不尽で落ちるのが当たり前ってことはよく聞く。だけどテクニックを身につけた奴がうまくいくこんな世の中なんてどうかしてる。
まじで運ゲーだわ。
お願いします
一昨日受けた、第一志望の会社の筆記試験結果が気になってどうしようもないよう
今日中にくるのは確実、お願いだから私を通過させてください。
数学できなくてすみません。解くの遅くてすみません!!!
でもそれらは絶対御社に入社後支障を与えませんので!!!!!
私の小論文を!!!ESを見て!!!!
熱意よ伝われ!!!!!!
私がなりたい人
私がなりたい人は、3年前オーストラリアのシドニーに留学をした時の、ホストマザーのような人である。彼女は当時74歳であったが、留学生の受け入れは初めてで、あまり英語が上手くない私を受け入れ、実の孫のように可愛がってくれた。また、様々な場所に連れて行ってくれた。彼女はいつでも笑顔を絶やさず、そしてどんな人に対してもフレンドリーで、真摯に向き合う誠実さがある。
去年、ホストマザーとホストファザーが、日本に旅行に来た。京都を廻るツアーに、私も参加させてくれた。伏見稲荷大社の山登りの際、ホストマザーはご高齢ということもあり山登りを辞退し、私とホストファザーで登ることになった。山を登っていて、麓でホストマザーが腕に抱えていた彼女の上着を私が代わりに持ち、それを返し忘れていたことに気づいた。山登りの最中、突然気温が低くなり、麓で待つホストマザーが心配になった。上着を返し忘れてしまったことの罪悪感が募った。
麓に戻り、真っ先に上着を渡した。そして拙い英語でも一生懸命謝り、心配したことを伝えた。ホストマザーは私のその姿を見て、私の気持ちを汲み取るように、「ホナミ、全然気にしなくていいのよ」と言ってくれた。私はその言葉を聞いて、彼女の優しさに涙が出そうになった。
その後も、ホストマザーはお土産屋で私の分のソフトクリームを買ってきてくれたり、突然のツアー参加で夕食が用意されなかった私に気を遣い、「ホナミ、食べて」と夕食を分けてくれた。その姿は、私にとって実の祖母同然であり、また実の祖母と同じくらいの愛情と親しみを抱いている。国境も言葉も関係なく、人間は心を通わすことができると、彼女から学んだ。
私もホストマザーのように、太陽のように明るく人を照らし、心の広い人間になりたい。また、彼女のように何歳になっても自分の「やりたいこと」を制限せず、新しい経験そして出会いを求めて生きていきたい。ホストマザーに出会えて、私は歳を取ることが怖くなくなった。いつだって「今」を楽しみ、誠実に物事、そして人と向き合っていれば、きっと彼女のように輝くことができると信じている。